若きσ(゚∀゚オレの悩み[書評]

存在しない会話 駄菓子屋編

客「ジャッキーカルパスあるだけください」
店「ジャッキーカルパス10,000本で105,000円になります」(あるあるポイント、消費税五パーセントになりがち)
客「はい、500円」
店「全然足りませんよ、そんなのに欲しいんですか。これじゃジャンキーカルパスですね笑」
客「支払いは鉛玉だ」(発砲音)


どうも!『恋愛と性行為の繋がりが理解出来ず世間の感覚に置いていかれる会』会長の怠惰ちゃんです!
今回はなれないですが書評を書こうと思いました。実は5月終わりくらいに『若きウェルテルの悩み』の読了して、忘れきらない内に書こうと思ったんですが、課題が重すぎて暇がありませんでした。私は新潮文庫(高橋義孝訳)を読みました、私は翻訳家の文体は全く気にしませんが、岩波文庫と二分されるようです(他の出版社もある)。飽き性なので描ききれるか分かりませんが、やってきます(ちなみに以前別のとこで書いた『車輪の下』は中途半端に終わりました、いつか編集します)。

まずはあらすじと概要。あらすじはwikiから引用。
〈あらすじ〉
作品は2部で構成されており、主に主人公ウェルテルが友人ヴィルヘルムに宛てた数十通の書簡によって構成されている(シャルロッテ宛のものも数通含まれる)。

第1部冒頭では、ウェルテルが新たにやってきた土地での生活ぶりや交友関係が報告される。辺りの風物の素晴らしさや、身分の低い人々の素朴さに引かれたこと、とある公爵とその老法官と親しくなったこと、その老法官の妻が最近死んで、長女がまだ幼い兄弟たちの母親代わりをしていること、ワールハイムという土地にある料亭が気に入って、そこでしばしばホメーロスを耽読していることなど。

ある日ウェルテルは郊外で開かれた舞踏会に知り合いと連れ立って出かけることになり、その際に老法官の娘シャルロッテと初めて対面する。ウェルテルは彼女が婚約者のいる身であることを知りつつ、その美しさと豊かな感性に惹かれ我を忘れたようになる。この日からウェルテルはシャルロッテのもとにたびたび訪れるようになり、彼女の幼い弟や妹たちになつかれ、シャルロッテからもまた憎からず思われる。しかし幸福な日々は長く続かず、彼女の婚約者アルベルトが到着すると苦悩に苛まれるようになり、やがて耐え切れなくなってこの土地を去ってしまう。

第2部では新たな土地に移って以降の出来事が描かれる。新たな土地でウェルテルは求めて官職に就き、公務に没頭しようとする。しかし同僚たちの卑俗さや形式主義に我慢がならなくなり、伯爵家に招かれた際に周囲から侮辱を受けたことをきっかけに退官してしまう。その後頼った知り合いの公爵のもとでも気分の落ち着きが得られず、数か月各地をさまよった後やがてシャルロッテのいるもとの土地に戻ってくる。しかしすでに結婚していたシャルロッテとアルベルトは、ウェルテルの期待に反して彼に対し冷たく振舞う。

この第2部の半ばから「編集者」による解説が挿入され、ウェルテルの書簡と平行してシャルロッテや周辺人物の状況を説明しながら物語を進めていく。ウェルテルがシャルロッテへの思いに煩悶している中、ある日ウェルテルの旧知の作男が、自分の主人である未亡人への思いから殺人を犯してしまう。作男に自分の状況を重ね合わせたウェルテルは作男を弁護しようとするが、アルベルトと、シャルロッテの父親である老法官に跳ねつけられてしまう。この出来事が引き金となり、ウェルテルは自殺を決意する。彼は使いをやってアルベルトの持つピストルを借りようとする。アルベルトの傍らでその使いの用事を聞いたシャルロッテは事情を察し衝撃を受けるが、夫の前ではどうすることもできず、黙ってピストルを使いに渡してしまう。ウェルテルはそのピストルがシャルロッテの触れたものであることに対する感謝を遺書に記し、深夜12時の鐘とともに筆を置き、自殺を決行する。最後に編集者によって、心痛のためにシャルロッテが出席できなかったウェルテルの葬儀の模様が報告される。
〈概要〉
若きウェルテルの悩みは著者ゲーテ自身の体験を基にしています。彼の恋人は作中と同じ名前のシャルロッテ。彼の経験は大体作品に現れてるぽい。ゲーテも失恋で自殺を考えたらしいです。大きく異なるところは二つ。
作中でウェルテルに影響する作男は殺人を犯したのに対し、現実で恐らくその位置にあたるゲーテの友人は自殺している。
ウェルテルは自殺するがゲーテは自殺していない。
まあそもそも比較するもんでは無いですかね、ゲーテの友人がピストル自殺したことから作品の着想を得たそうですから。
『ウェルテル』はその時代にしては斬新な作品だったらしく、世に与えた影響は多大です。精神のインフルエンザともいわれ、この作品の影響で自殺が流行したそうです(バカじゃないの)。有名人の死の後追いをウェルテル効果というそう。
ゲーテは失恋による悲しみをこの小説を書くことによって昇華させました。この話は小説など創作の力を説明する話にあげられますね。

〈感想など〉
私は書簡式の小説は、ゼロではないにしろあまり読んだことはありません。この小説はだいたい一年半の間のウェルテルからの手紙という形式です。第一の(1771/5/4)手紙はウェルテルが新しい土地にうつってきたところからですが、その中にレオレーノという女性の名前が出てきます。彼女がどうなったのかはわかりませんが、ウェルテル、レオレーノ、レオレーノの妹の三人は三角関係だったらしく、ここではウェルテルは後のシャルロッテ的立ち位置だと読み取れます。彼はこのことについて「奸計や悪意よりも、誤解や怠惰の方がよっぽどいざこざの基になる」と言っています。見落としやすいところですが共感できます。人間てのは面倒くさいですね。この時点ですでにウェルテルの哲学的思索は深いことがわかります。
ウェルテルはロッテに会う前に、彼女が婚約者を持っていることを言われながらも恋に落ちます、ウェルテル自身はそんなこと気にしないと言ってますが、実際不貞は働けないのに、無意味だなあと思います。
作品全体を通して僕が疑問に感じていたのはシャルロッテの立場です。彼女はウェルテルの彼女への愛を理解しながらも、一貫してウェルテルに対して友人という関係を崩そうとしませんでした。ウェルテルは彼女が振り向いてくれなくともとはいいますが、ウェルテルの愛には応えないのに自分の友人としてそばにいて欲しいなんて、恋愛感情を盾にとった虫のいい行為ですよね?片思いなんて非対称の極みですから、そんな中で二人(アルベルト含め三人)の関係性が不変でいられるはずがないんです。まあ、こういう端から見ればわかり切った愚かな行為に溺れるというのが恋愛の醍醐味ともいえそうです。こんな風に、ロッテは二人の男を手駒にするのですが、ウェルテルによるロッテへの言及からはそう言った「魔性の女」感は伝わってきません。むしろ清純な美しさを持つイメージです。最後にロッテはウェルテルに無理やりキスされ怒ります。その頃にはウェルテルは開き直っていたのですが、まあ自業自得でしょう。
えー書くこと忘れてきました。作品は宗教についても結構描かれています。恋愛に悩むウェルテルにとっての宗教の無力さ。加えてウェルテルが見聞きする実生活に困る人々へ宗教が与える影響も書いていました。個人的には宗教に批判的、というより「宗教は実際は助けにならない」って感じです。私の偏見もあるので、読んでみてください。
ロッテはウェルテルを友人として大切に扱っていました。しかしそうだと言っても、ウェルテルはロッテを愛していましたから、ロッテに婚約者があるのは我慢ならないでしょう。訳者の解説には「霊肉分離の愛に満足できず」とありましたが、私はそうは思いません。むしろ異性に対する(小説などで取り上げられるような)愛は複数人に対し注がれるものではないと考えます。相当気持ち悪い表現になりますがここにいる方は問題ないだろうということで言います。愛というものは相手の(どちらかというと精神的)清純を望む物であり、相手の自分に対する感情も自分ただ一人に注がれることを信じるはずのものです。細かいことは言いませんが、肉体的処女はその証明になり得ます。ロッテが処女なのかは微妙ですが(どうでも良い)、彼女のアルベルトとウェルテル二人への立場がどっちつかずだった帰結と言えます。
最後に無理矢理キスされるロッテですが、その前の詩の意味が私にはよく分かりませんでした。やっぱ読める人はこういう所も汲み取れるんだろうか、私には遠いです。あとウェルテルの自害、片目から撃ち込んだんだから即死だと思ったのに意外と長く死なないらしい描写がグロかったです。ウェルテルはみんなに看取られながら逝きました。実際アレで即死出来ないもんですかね?わかりませんが。
アルベルトはいいやつなので浮気は当然倫理に反しますし、浮気というのはロッテには似つかわしくないでしょう。何よりウェルテルは元から死に対してネガティブな印象を持っていませんでしたし(アルベルトとの会話でわかる)、普通に社会不適合者的側面があったので、恋愛がうまくいかない宗教も救ってくれない仕事もダメ、なんて状況で死に至るのはごく自然なんすね。恋愛表現については共感し難いところが多かったですが、ウェルテルの厭世的思想には共感できるところがありました。私が一番共感したのは
「少々ばかりの力と才能とを持った連中が、得意然と僕の面前でお喋りしているのに、僕は自分の力と自分の才能に絶望しているんだから、神様、あなたは私に一切を与えてくださったが、なぜあなたはその半分を差し控えておいて、その代わりに自信と自足をくださらなかったのでしょう(101P)」
神と現世への絶望が読み取れます。著者ゲーテは、まあ失恋があったとは言え?、順風満帆だったろうにこのような暗い感情を描けるとは恐るべし。他人の考えを推し量れない私は敬服もんです。

私はそもそも恋愛ってのが嫌いなんですよ。人や文学が素晴らしいって言うほど理解、愛の理解は共感といっていいでしょうが共感ができません。恋愛の影響によって生死に及ぶほど人生の色が変わるってのが理解し難い。異性関係のみで生きている人がいますが、宗教みたいなもんでしょうか、誰でももちやすいからそれしか持ってない人も見えるだけですね、特にSNSで。逆にそんなものさえ持ってないので私はコンプバリバリです。
今は「火花」と「花盛りの森・憂国」を並読してます。結構好き嫌い激しいので、話題作というっだけではしんどいって感じです。それではまた気力があれば。