人は見えてるものしかわからない

 肉体が重い、肉体が重い。魂が何処にあるのかってふと考えたりしますよね。ベッドに寝転んでると、足はとても遠く感じられなんだか上半身にある気がします。やはり目鼻口脳が頭に集中してるので意識が上半身にむきがちなのは自然に思えませんか?そんなこと言ってもまったくわかりませんがね。自分の顔の見方なんかありますか。

 1ツイートに入りきらない程度に時候の挨拶(時候の挨拶だと?)を済ませたところで本題に入りましょうか。コンビニに行った時、店の外の壁際に自転車を止めるんですが、そこにメモが置いてありました。日付も封筒もなかったのですが、どうやら私に発見されましたので供養してあげます。誰が書いたかは知りません(ええ?)。

 

『これは大変だ。私はヒッジョーに焦っている。誰がこれを読むかも知りませんので何を話すか。私は火曜の夜になると毎週非処女を殺しています。別に儀式とかではないですが火曜の夜は体が熱いのです🥵。どうこう。あんまり気持ちの良いルーチンではないにしろ、誰にも迷惑はかけんと言うことでまあ我ながら気に留めていなかったのが、聞くところでは”殺人罪”とかいうのに問われるらしい。いや、殺人罪くらいは存じてますが、非処女が「人」に当たるというのはどうにか知りませんでした。そういうことで私は連続殺人鬼です。困った。いつ警察がくるか、誰でもない自分にしれた途端恐ろしくなりました。もう直ぐ朝がきます。今まで飾りに過ぎなかったインターホンが今か今かと初仕事を待ち構えているようです。しかし罪悪の念は生まれません。うわは、は、は。

 私がおかしいのか。国がおかしいのか。そんな二元論で済ませられましょうか。そもそも人間なんてものが間違いなんだ、全く......。』

 

 イカれてますね。処女厨なんてなるもんじゃないですよ。いやー、やはり自覚のない悪意が一番恐ろしいですね。「悪意」の部分は屡々「無知」に置き換えられます。

 それはさておき本題。タイトル通りです。

「ちんこには多くの呼び方があるのにまんこは一通りなのなんでだ?!」というジェンダー問題に深く関わる問題(嘘)にメスを入れたいと思います。

俺「まんこなんてまんこか陰核の二通りだぞ。ヴェネチアにさえそれに加えてヴェニスと水の都って三つほど認識できるのがあるよ」

友「ヴァギナもある」

俺「そうか、それでやっとヴェネツィアと同じか」

こんな調子です。なぜまんこは呼称の種類に於いてちんこの後塵を拝するのか?

「ちんこは男性にあるため(主に幼少期には)ネタにしやすいのに、まんこは女性器だから、女の子がそんなことをネタにされたら泣いてしまう」のでしょうか?そんなアホな。私は断じてフェミ二ズムの姿勢を崩しません、そんなことはありえないのです。ましてや(自主規制)!!

 そこで、男女の(社会的なものも生来的なものも含む)性質は使えない。となると難しいですか?いいえ、難しくありません。まんことちんこの違いを考えると明々白々です。人は情報のほとんどを視覚に頼ります。つまり、ちんこは見えてまんこは見えないのです。人間全体を見渡すと、明らかにちんこはおかしい!ぶら下がっている!睾丸はその温度を低く保つために内蔵としては特殊な場所にあります。変です!別に人間に限った話ではないんですがね、仮に自己複製で繁殖する生き物その他地球外生命体に、股間だけを空欄にした人間の図を与えて、そこを埋めてもらうと、絶対ちんこは描きませんよ!!不自然だもん。

 いらないところになんかぶら下がってる、生殖機能を知らない幼児に面白くないわけがないな。対してまんこはごく自然です。非特徴的なものに名前はいらないわけです。「男にはちんこがあって女にはない」。これは今考えると非対称でへんですが、そんな思慮深い小学生はいやですね。それを、小学校中学年でセックスの存在を知る衝撃とは、記憶にないですがきついでしょうね。私は今でも信じたくありません。あ?連続殺人の機運か?

 そういうわけで人間の認識能力を鑑みるとちんこは誰もが慣れ親しみ(?)まんこはセンシティブに思われるのも納得ですね!

 しかし、それは感情的議論であり、地上波に置いてちんこは伏字とはいえ放送されるのに、まんこと言えばカットが必然なのはジェンダー後進国という他ない。悲しいことです。全く、感情論に支配されがちなくせに平等だなんだと、二律背反をどちらも求めるから、人間は愚かなんだ。

 確認ですが、性別には三種ある。男、処女、非処女。平等は不可能。しかし私は殺人はしません、一般的な法くらいわかりますよ(人の定義も一応)。この文章は全部で1919文字で書かれています。意味はないです。