車輪の下

まず、田舎の村で一人の天才が生まれるということについては共感できないが、有り得ることなんだろう。しかしそういう田舎に住みながらも名門校を受験するに十分な学習ができるというのは、珍しいことでは無いのだろうかと思った。宗教についてあまり詳しくないのもあってか、牧師が信心深いかどうかとか新訳旧約聖書のことはあまり分からんかった。
前半で印象だったのは「高等中学に行くかい?」のとこです、ハンスが高等中学の存在を知っていたのかどうかはわかりませんが、高等中学を視野に入れている都会の少年に対して、ハンスは『そんな話は全然出なかった』ことから、情報格差というか育つ環境による前提の違いというものを感じました。この経験は結構わかりやすいです、私も高校受験の際には私立高校なんて眼中にもなく、あるのは知ってるけど自分には関係ない、というものです。こういう経験は入学以前よりも、入学後に感じやすいものだと思いますが、意外とそういう描写がなかったのがちょっと引っかかります。
ハンスがハイルナーと特段仲良くなったのが気になります。キスというのもあるんでしょうが、他の生徒が模範的優等生でありハイルナーと一線を画していたのに比べて、ハンスは人一倍あらゆる物事に寛容だったからではないかと思います。そのために、(学校に従順でない)悪友と学業という両立が難しいものの板挟みで、幼い少年ということもあって対処出来なかったんだろうと。やはりこの小説では「少年だから車輪に潰された」というのがキーですね。ハイルナーがルチウスについて問題を起こした時、彼に手を差し伸べるのはあまり賢い選択ではないしハンスもそれをしなかったが、後に罪悪感を覚えたり、ハイルナーはそれに失望したこと、また仲直りさえも彼らが少年だから、結構単純な感情に左右される。仮に月並みな小説の高校生とかなら、ハンスは罪悪感を言い訳で押し潰すことができるだろうし、ハイルナーはハンスの裏切りに落胆しながらもハンスを責めるのは難しいでしょう。まあこれについては単にハイルナーがそういう人間性と言うだけなのかも知らんが。ハイルナーは別にハンスが居なくてもやっていけたんだろうな、という感じはします。ついには何も告げずに脱走するわけですし。
ハンスの退学後、タカ小路が出てきた時に「一方は綺麗な方に続く道で、一方は汚いタカ小路」みたいな書き方があったと思います(うろ覚え)。ハンスは一旦は綺麗な方に進みましたよね、神学校です。しかしそこは彼には合いませんでした。だからタカ小路に進み直すわけです。
あとは、ハンスが死んだのは自殺なのか事故なのか。これは微妙ですよね。ハンスが自殺を考慮してることは書いてありますが、一方ハンスは酔ってました。死因の推定が何個か書いてありますが、最後に「美しい水を見て引き寄せられ、その上に屈んだのかもしれない。そして、平和と深い休息とに満ちた夜と月の青白い光が彼の方をじっとみたので、彼は疲労と不安のために死の影に引き込まれたのかもしれない」とあります。この表現こそが微妙なのですが、私としては自殺か事故かとか言った議論が不可能ではないかと思います。この表現だけでなく物語全体を踏まえても、ハンスの死は自然との調和であるようです。これは感想交換で得た考えなのですが、川は時間やそのほか様々な流れを表します、ここでハンスが自然に誘われ川を流れるというのは、神学校や周りからのプレッシャーといった人間ならではの不自然的な枷からの解放と捉えられると思います。ハンスは仕事に前向きに見えないこともありませんでしたが、エリート街道と鍛冶屋、どっちが良いか一概には言えません。まあいずれにしろ結論は分かりません。
全体を通してさり気ない表現ながらも美しく、重要で細やかな仕草も描写しているところはすごいなって思いました。読みやすいんですが、読み込もうと思えばどこまでも読み込める深さがありそうです。
長くなりました、いきなりですが終わり。読書会の感想交換のために書いたんですが、読書会は面白いものでした。私以外全員文系で(それは関係ないかも知らんけど)、私がほぼ言語による(単なる風景画よりも美しいと思える)情景の描写の美しさのみを目的にしているのに対して、意外と書き手の視点や登場人物の行為の意味を深読みしてるのが印象的でした。体型を理解してその文章の作用とかを考えるのはあまり得意でないし、すごいなぁってかんじだ。