恋に恋する乙女抹殺計画

私文カス、大学で何も学ばねえから就活で言えることが「人との(性器での)繋がりの大切さを学びました」だけ!

どうも〜!学歴厨ツイッタラーの怠惰ちゃんです!

今回検証したい説は

Twitterのbioに[東大]って書いてるやつの自尊心、めちゃくちゃ低いかめちゃくちゃ高いかの二通りしかない』

説〜。まあちょっと長いですけど、言いたいことは伝わると思います。

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 それではコロナウイルスで『DEAD or ALIVE』!

 

以下の文章は読者様の脳内で花澤香菜の声に変換してお読みください。誰だってキモ・オタクよりは女性声優が好きだと思うね。

約1ヶ月ぶりの投稿になりますね。

はてなブログを書くのに必要なものは、少しのひまと、少しのストレスと、少しのユーモア(あると思っている。否定するなら帰れ)と、少しの文章力と、少しの話題と、少しの根気と、そして莫大なる自己顕示欲です。暇やストレスが過大じゃダメなんですよね(過大と行っているのでトートロジー?)。

こうは言ったものの、実は少しの話題もありません。ところで、スポンジボブイカルドを見ていたら悲しくなることってありますよね。ファストフード店で働く冴えないおっさんの彼が、どのようにして一軒家の自宅を持つに至ったのか気になりませんか?まあそれを言ったらあの世界観は全てめちゃくちゃですが。スポンジボブのような狂ったアニメが日本社会を一瞬でも風靡し、それでなおこの世にはつまんねーやつばっかりなのは何故でしょうか。そんなことばかり気になって私は朝10時まで起きれません、辛いです。

まあ話題もないので近況報告です、気分はラジオパーソナリティーです(天才なのでここで女性声優という伏線を回収する)(嘘)。他の大学はよく知りませんが、”東京帝国大学”はとっくに始業しています。このような緊急事態の中最も迅速かつ的確に対応できるのは流石だなという思いです。それも日頃から各方面へのパイプがしっかりしているからでしょうか?一応、私は反体制主義ではないと断っときます、そもそもあんまり理解してないが、最近『私の1960年代(山本義隆 金曜日)』を読んだので。出典てどうあらわすんでしたかね。少し話がそれますが、国家の研究費削減に対して、自由に学問できる環境とその資金を要求する人が結構いることにはひきました。私は、学術の発展は純粋な学術欲求だけでもたらされるとは思ってません。

閑話休題。嘘、以下略

受験が終わってから、少しデレステを再開しました。別に受験期に絶っていたいたわけでもありませんが、私にはログインボーナスをもらうことさえもしんどいのです、怠惰だね、いいえ誰でも。Twitterでキャライラストは流れてくるのでそれで満足でした。しかしまあ、受験が終わって周りはいろいろしてる(把握してない)ので、何となくね。デレステを共通の趣味として友達を作ろうなんて思うはずもないですから調べてはないけど、うちの高校は何故かプロデューサーが少なくほとんどバンドリでしたね。デレマスは楽曲のレベルが高いんですが共感してくれる友人はいませんでした。ゲームのキャラがめちゃくちゃ多くて売りが誰にも最高の一人がみつかることらしいので、曲も同様なんですかね。

デレステだけじゃなくて、うちの高校には趣味が合う奴があまりいませんでした、まあコミュ障なのも影響してるのかな。一部のクラスメイトとカラオケに行ってもお互い知らない曲ばかりだから難しかった。それに拠る面白さもあったけど、静かな曲はウケないよね。

ここまでマジでつまんないな、退屈とは恐ろしいものです。恐ろしいものといえば、インスタグラム。中学のころ「人生楽しそうだなあ」と思っていた同級生たちはもちろん予想を裏切らず、高校生活ひいてはその後の大学()や就職といった新生活を謳歌しています。あーーーーー死ねよ。それどころか、中学時代には共に灰色の毒杯を仰っていた(と少なくとも私は思っていた)友人さえも、妬ましき青空にその身を晒しているではないですか(なんてことだ!)。まあこんなこと今更わかったわけではないですが、というかわかり切っていたことですが、彼らは「まだなれていなかった」「なりたかった」人たちなのでした。対して私は「なれない」「なりたくない」人間であり、その点で一線を画していて、あれは利害の一致に過ぎなかったのです。私はこのスタンスを崩すわけにはいかない。人生が楽しくない奴が人生楽しいやつを見て自分を保つには、斜め後ろの席から「あいつらはあんな食べ物で満足してやがる」とせせら笑うしかないのです、自分の卓には水しかないのに。まあこんな感じに下手な比喩を使ってみたところで、私の隠キャ論、つまり自己保身論は特に大きな展開ができるわけでもないのでこのくらいにしておきます。

未来に対する不安が大きい。これはほぼ課題に対するストレスとも言い換えられる。辛い。俗世から離れて静かに本を読んで暮らしたい、或いは生存をやめたい。あらゆる不安と悩みは生存から来るのですが、自明なことほど人は気付き難い。しは救済って言いますけど、実際ゼロになるだけだし、人によるな。

書きたいことがまとまりません。いろんなことが浮かんでは消えていきます(宮沢賢治)。はてなブログよりもツイートの方があってるんだよな、でも五百字くらいのだとどっちも合わないよね。ボディは考えて書くのでギリ読めるんですけど頭と終わりはマジその時適当に書くんで短文の集まりになる。書いてみるまで何を書くか決まってない。俺が”量子力学”だ、不勉強です......。

頭の悪さは想像力の低さです、しかしね、無知の無知は幸せだと思います。無知の知は辛いと思いますがね。そんなことで周りにマウンティングできたソクラテスの性格が羨ましい。これはまたの機会がありそう。

最後に。「小説やアニメは元から人生楽しめてないと面白くない」という旨のツイがありました。ゲーテは若きウェルテルの悩みを著して自殺をやめたそうです(自殺を止めることになったのは予期していなかったらしい)。これは小説いうより創作ですか?私は小説に救われた経験はないです。憂鬱が和らぎさえすれど、本質的には私は自殺するほど追い込まれるきっかけがない。話を戻すと、私は反論しようと思いましたが、これは私が日頃恋愛について言っていることで、結局その人自身の適応とかによるのか?とやめました。恋愛と小説(アニメでもいいけどアニメで救われるとかあるか?)の違いは相手がいるかどうかです、そして人生に対して悲観的な人間は確かに人に好かれ難い。だから恋愛できる状況の人が尚絶望してるってのがよくわかんないんですよね。もしかすると、やさしい相手がいてそれが(小説の役割同様)彼に新しい展望をもたらした、とか?それって恋愛ですかね?まあ結論は出しません、眠いし、文章がめちゃくちゃな自覚はある。しかし議論の逢着先に関わらず俺はTwitterによくいる「人生辛い」だの「みんな私を嫌ってる」だの抜かしながらも彼氏持ちの女が一番キショイと思います、地獄に落ちろ。

暑くなってきました。日々の移ろいを感じさせるのは鬱陶しい西日です。