オタク、逆を張れ

こんにちは、普通の内容を書くことに耐えられないオタクの私です。先日、性格の悪さについてテキトーに書いたやつを投稿しました。
dreaming-mange.hatenablog.com
まあこんなふうに言い訳をしてみてもですね、色々無理なわけですね。自分が嫌ってる相手には自分も嫌われているものだと思います。そして人を嫌っていることを公言すると関係ない人からも敬遠されます。当たり前ですかね。あとまあ人と仲良くなるために面白くないことに我慢するのが嫌だから、集団の中で生活していきにくいです。

ということで、私は友達が少ない。友達の数は多いことが常に少ないことに勝るでしょうか?

話は逸れるようですが、幸不幸と生活はどちらが先だと思いますか?裕福な生活をしていると幸せなのでしょうか、私が不幸を感じるのは生活が惨めだからでしょうか。

これはまあ程度問題ではありますが、実際は幸不幸は生活に先行します。例えば毎月1万円生活だとか明らかにキツイ場合は除くし、その人生観を育むのは生活自体であるという問題点はありますが、概ねこれは正しいです。

「大学は楽しいよ〜」というのは世の高校生が年上から何度も聞く言葉ですが、こんなの眉唾ですね。思い出してみてください、この発言してた中で「この人って暗い中高時代を送ってそうだな」って人、いないでしょう?

SNSを使えば大して仲良くもない奴らの情報が多く入ってくる現代ですので、同窓の大学生活を垣間見ることはありますが、「高校と違って大学楽しい!」なんてやつ1人もいませんよ。楽しみ方は(傍から見た感じだけど)据え置き。

彼女のいるいないもわかりやすいところだと思います。「こいつがおってくれてホンマによかった!」とかインスタで言ってるあいつ、あいつは彼女がいない時でも溌剌としていて現状を悲観してなどいなかったでしょう?逆に、今やなかなか見ないが、障害を持ち社会生活に苦しむ女性は、『理解のある彼くん』がいるにも関わらず、「毎日が苦しい」のでしょう?何もパートナーの存在で人生の色が変わるべきだとは言いませんが、恋愛というのは(つまらない)人生において大きなウェイトを占めるにも関わらず、小説のようなドラマチックさでもないと、それ単体ではその人の幸せとほぼ無関係なのではないかということです。

まあ私ほど環境によらず自分を強く保ち続ける人は珍しいですが、私が言いたいことはね、オタクくん、キミが人生に悲観しているなら、客観的な成功体験は少ない方が都合がいいということです。

映画でよくあるストーリーですが、超有名なクリエイターが富、名声を手に入れながらも彼彼女なりの憂鬱に悩まされるという話。普通の人達はあれを見て何を思うのかは知りませんが、「贅沢だなぁ」というのはありませんか?うん、だからこそ映画になっているという点はあるが、彼らにとっては贅沢では無いのでしょう。

まあ私は名声と彼女はないですが、事実をあげれば、予備校にも満足に通っていましたし、東大に現役で合格し三鷹寮でもないです、(東大の中でという訳ではなく)裕福な方だと思います。普通の人より劣っているところは多いですがね。

ご存知の通り私は自分の現状について文句ばっかり言っているわけです。なぜ?それは先に言った通り、不満を持つべき生活なのではなく、常に自分の現在に嫌気があるからです。あまりそういうツイートはしないようにしていますがね。

しかしですね、人間ってそんなに強いですかね。現状に満足出来ていない人が、愚痴を言わず耐えられますかね。つまりわかりやすい言い訳があった方がいいわけです。

大学受験に失敗していれば、(まあその失敗が当人の能力不足であることはおいといて)自分の不満足の責任の一端を受験に背負わせることができますし、彼女がいない限りには「彼女さえ出来たらなぁ」と何度言っても良いという訳です。

その点でいえば、コロナ禍、なんという大きな「原因」!私の大学生活はどれだけ控えめに言っても「可哀想」なものですが、これはもうしょうがない、こんな時勢じゃあね。

まあなんにせよ、ある不幸は次の不幸を呼ぶ原因として最適(?)ですから、皆さんどんどん不幸になっていきましょう、可哀想なやつになりましょう。

冒頭の、「友達の少なさ」も自分の人生の彩が足りない理由付けになりうるでしょう?

今日が可哀想なやつは明日も可哀想なのです、悲惨なようですが、これが実は非常に楽なのでしてね。プラスをプラスに繋げるのと、マイナスからマイナスに移行するの、どっちが大変かなんて言うまでもありませんよ。惨めさを追求しよう、オタクくんたち。
幸福を求めてる時点で負けているんだよ。

さらには「言い訳の余裕をもたせる」だけではなく、また
手始めにクリスマスです、予定が全くない12月24日こそを「ホワイト・クリスマス」と言うのですよ。