他人の失恋以上に面白いことなんてあるわけないだろいい加減にしろ!!え?「失恋したやつへの追い打ち」?……一理あるな

こんにちは。「恋愛?ナニソレオイシイノ?いやいいよ、不味さの部分だけ教えてくれれば」の会、会長の私です。

まあこのブログを読んでる紳士淑女の皆さんはご存知の通り、私はめちゃくちゃに性格が悪いです。これは安全網とかではなく単なる事実です。私が「性格悪い」の分かってる相手でもドン引きさせるような悪口を言えます。

大仰な前置きをしましたが、日々核弾頭が飛び交うTwitterとかいう場所においては、私なんか可愛いもんです。Twitterじゃあ「よくこんなこと言えるな」って差別発言が日常茶飯事ですからね。私の悩みは「ネットでの発言を現実でも言ってしまう」(というか現実の方が知っている人間の話題になりやすいので、巧みな侮言が出てきやすい)ことなんですよねぇ〜。まあここで言ってもしゃあない。性格の悪さとしては中の上、品がないのか。Twitterで浪人生がしてるような差別発言に耐えれる人は以下をよんでも何も思わないでしょう、そういうのが嫌いな人は帰りましょうね。

何を楽しいと思うかって言うのはもはや環境ですらなくて生まれつき決まってるのでは無いかと思いますが、私はほとんど人を馬鹿にすること以外で楽しみを感じることがないのでは?とすら思うことがあります。斜に構えすぎなんだよな。

他人を馬鹿にする行為ってのは人間の最も根源的な邪悪だと思います。最近は「差別是正」とか「ポリティカル・コレクトネス」とか言われてますが、うっせ〜!!って感じですね。正しさで笑えるわけないだろ!

(他の言語をまともに学んだことは無いけど)日本語はいい言語ですよね、私は日本語が好きです。色んな言葉を知りたいです。なんでって、そりゃ、罵詈雑言のバリエーションを増やしたいからに決まってるだろ!!難しい言語表現という最も人間らしい行為を以て、最も根源的な笑いを起こす。興奮してしまいますね。

こんな性格の悪さじゃ自己嫌悪するんじゃないかとご心配の読者様、ご安心ください。もはやそんな「弱さ」は捨てました。人は日々自分のすべき行動と実際の行為のSOGOに苦しむものです。まあ私ほど苦しんでるやつはあまり見ませんが(当然人に言うものでもないから)、少なくとも性格の悪さは妥協出来ました。アイデンティティにすればいいんですよ、いい言葉ですね、「アイデンティティ」。まあ性格の悪さをキャラだてしようとするなんてクズの所業ですが、自覚を持って人を笑わせてる間はまあ救われるでしょう。使用量と用途を守って侮辱ください。悪人正機(正気)説つってね。

書くこと忘れたので適当に纏めます。性格の悪さの2段階について、わかりやすいものです。1つは「思う(自分の内)」、もう1つは「言う(自分から外)」です。当然、社会性の問題に影響するのは後者の方です。しかし「思うだけならいいんじゃないか」なんてことは無いです、思考は行動に移ります、これはマジです。人が言った悪口に笑ってしまうような人は、直ぐに周りにバレますよっと。

だからね、悪口は自分に禁じましょう。徳を積みましょう。クリーンなTLを作りましょう。徳に適う行動をしてれば結果は着いてくる、的なことを昔の哲人も多分言ってました。

私?私はもういいです。
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どうでもいいこと

インスタやってる女子はみんな、髪の毛を薄ら茶色に染めてオーバーオールみたいな舐めた服装をしつつ五六人で(必ずチーズが入っている)韓国料理食べがち。(つかみの挨拶)

 

こんにちは。欲しいものは常識的な自己肯定感、どうも!現役JK声優の怠惰ちゃんです。

 

学問のヌヌメ

 日本は自殺者が多い国ですが、人を死に追いやる物はなんでしょうか。心臓を銃で撃ち抜かれたとき、違う。不治の病に侵された時、違う。猛毒のキノコのスープを飲んだ時、違う!人に忘れられた時...違う!自分の人生について思考を働かせた時です。そもそも人に忘れられた時死ぬなら、私は何回死んでるっちゅうねん!!笑(死のう)

 自分が今幸せかどうか考えてみてください。はい、あなたは不幸になりました。「自分の胸に「いま、幸せか?」とたずねたら、途端に幸福ではなくなってしまう。 」とはJ・S・ミルの言葉です、JKでもJCでもなく、JSです。ミルといえば功利主義ですね、高校倫理でやったんですが、もう一年近く経つので完全に忘れてましたね。

 とは言ったものの、大抵の人は「まあ、別に不幸ではないかな」でしょうね。そもそも自分からこういう疑問が出てくる場合に「今幸せか?」というのは最早疑問じゃなくて反語疑問文なんですよね、答え確定。ちなみに、女性が「私のこと好き?」と聞いてきたときにはスデにッッッッ!行動(破局)は終了しているんだ!知らんけど。

 ではどうやってその疑問から逃げましょうか、他のことを考えれば良いですね。

 勉強しろ!!!!

   こういうわけで怠惰ちゃんは勉強が(人生よりは)相対的に好きなのでした。 実際みんなから「勉強好き」と思われています、悲しいね。まあどうでもいいか。

 

 ○○好き

  ○○好きということですが、これっておかしくね?例えばお笑い好き、言うまでもなく面白いのが好きなんだろうな。しかしお笑い好きとして認定されるには、面白くない若手芸人まで詳しい必要がある、これって不思議ですね。私もお笑いは好きですが、正味、面白いやつ以外見てもあまり意味があるとは思えないので、そんなに詳しくないです。他にも漫画好き、アイドル好き……まあ色々でしょうね。

 思うに、成長過程が好きなんじゃないのか?万が一それらが大成した時にドヤ顔で「知ってますよ」感を出す自分が好きなんじゃないのか?まあどうでもいいか

 ○○好きがより〇〇としてのクオリティが低いものに詳しくあるべきという点で言うと、「知識好き」は嘘じゃないですね。ニッチな方がより興奮するわけですから。

 

今週のトリビア

 「初めて知る」ってなんだよ、天才小学三年生の怠惰ちゃんはそんな疑問を持ちました、天才なので。

 その時の私は「初めて」という意味を「第一回目の経験として」という意味だと思っていました、どうせこれを読んでるあなたもそうでしょう?(侮り)

 そこで「初めて知る」がおかしい事になりますね。「知る」にそもそも再現性がないからです。再現性があるから2回目以降があり、そのため「最初に」が存在します。

 まあ書くこともないのでタネ明かししますと、「初めて」には「新しく」の意味もあるそうです、またひとつの賢くなったね!

 読んでいるあなた達にとっては「そんなことか」でしょうが、大切なのは疑問を持つことです。陥ろう!懐疑主義!これは懐疑主義とは言わないだろう。文字?文字とか言うやつ?本当に文字か?今これを書いているのは俺?どうでもいいか

思考についての思考

 味の素の「皮がパリパリの餃子」は醤油を付けると結局パリパリがふやけるのでパリパリ餃子があるべき姿で実在するのは不可能だと知り、その意味で皮がパリパリの餃子のことを『恋愛』だと思っていた、高二の夏。

 どうも、2ヶ月ぶりの更新になります、怠惰ちゃんです。何故こうも期間が空いたのかと言うと、免許合宿にいき、大学と一人暮らしが始まったにも関わらず、私は相も変わらずここまでの人生同様に、ただ生温い絶望の海を揺蕩うのみだからです。人生が更新されてねえのにブログなんか更新してられっか(上手くないな)。しかしまあ何かは書きたいということで、私の思考についての思考を書こうと思います。自分で書くには、意外と言語化されてなかった自分の気持ちが新たに発見されたりして面白いものですが、読んでる方はどうですかね笑、まあお目汚しに1つ駄文を。

 参考書や大学の偏差値に詳しすぎる受験オタクは落ちる。童貞は恋愛について深く考えすぎている。生きている理由を考えると死にたくなる。これらは当たり前のことですが、酷いことです。

 行為について考えるということは、一見するととても良い事のようです。メリットとデメリットを分析してやるかやらないかを判断する、まあそう言うと聞えはいいですが、これは言葉の綾です。実際のところは、行為の考慮によって起こりうるのは「やらないことの決定」のみです。

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 大学の偏差値を気にするよりも、目の前の問題に当たった方が学力は当然伸びるし、自分の幸不幸を分析なんかしなけりゃそのまま幸せに生きていけるのです。恋愛についても、(私は童貞なので知りませんが)ごちゃごちゃ考えるよりも普通に振る舞えばいいらしいです、あなた達はそう言います。自分の人生を省みて、自殺はあれど、幸せになることなんてありえないんですよね〜。アメリカの社会学者チャールズ・クーリーによると「明日やろうは愚かだ、今日でさえ遅すぎる、賢者は昨日済ませている」そうです、実は考えてばっかりで動かない私たちの方が愚かなのです!だから、考えるよりも動こう!

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 しかしこういっても、「考えることで生じる行動もある」のは当然です。より抽象的に(正しく)いうと、思考によって起こるのは「流れの変更の決定」です。例えば、参考書を買おうと思った時、全く思考停止で行くならば、本屋に行って目立っているやつを買うってなると思います。これは得策ではありません。より良い選択をするならネットとかで下調べをして、当たりをつけてから書店に行くべきです。学校に通っているとかだと、流れに乗ってれば中退はまずないわけで、その選択肢は思考の結果でしょう。逆に流れに任せて留年するなら、どうにか回避する方法を考えなければなりません。

 じゃあ結局どっちがいいねん、ということですが、知りません笑。

 テキトーに書きますが、ひとつ思うのは、人間社会的な行為であればあるほど、思考が必要になってくるのではないか(当たり前だな)。恋愛とか生存ってのは根源的なのでhow toを考えたところでどうにもならん感じがある。逆に勉強とかは動物としては二次的(段階欲求で上の方)だから、選択肢の善し悪しが大切なんだな。

 まあ長々と描きましたが、結局はやるかどうかの決断は速く、どうやるかをよく考えるのがいいんですけどね、当たり前ですね。

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 ただ、当たり前のことをあえて再確認するのも…………無意味です!ばーか!意味あると思ったか?ないよ!

 読んでくださってありがとうございました!引き続き怠惰ちゃんの滑稽な人生(ツイート)をお楽しみください!面白かったら読者登録?お気に入り登録かな?してください。面白くなくてもしてください。

STAY TUNE!!

コロナに童貞を奪われた

 大学1年生。サークル活動やバイト、場合によっては合コンもあったろう。長いモラトリアムの入り口、スタートダッシュが肝心である。彼女ができて、或いはできなくても、貞操観念の低いJDと成り行きで......なんてことを、春を知らない愚か者たちは考えたものだ。しかしこの状況!(説明は不要だろうが)夢のキャンパスライフは夢のままに終わる。この時点での大学1年次の童貞率は令和において最高だと、私は断言しよう。私の友人は(面子は変わらず)依然童貞ばっかりだ。

面倒になってきたのでここからは丁寧語で。

 こうは言っても、別に私がその『愚か者』の一人で合ったわけではありません。まあ、万が一の希望を全く持たなかったといえば嘘ですが、自分の分は弁えていますから。芸大生じゃあるまいし「実習させろ!」とは言いません。問題は俺じゃないんだよな。

 ここで童貞について確認しましょう。「童貞」「非童貞」という言葉からして、いかにも前者が先に定義されているように思えますが、これは間違いです。ちょっと調べてもはっきりしないんですが、普通に考えて「童の貞操」ですよね、これは明らかに蔑称です。つまり想定としては「性交渉くらい知っている人」が標準なわけです。よって、童貞の定義は「非童貞でない人」となります。話が全く前進していないように感じるでしょうが、はっきりさせたかったのは「童貞はそうでない周りによって規定される」ということです、長いね。

 俺はセックスできてない、周りもセックスできてない。大学生なのに、みんな童貞。置いていかれて、ない。劣等感も、屈辱も、嫉妬も、呪いもない。童貞を否定するのは非童貞である一方で、童貞の存在が許されるのもまた非童貞のおかげだったのだ。汚い嫉みがなければ、私は童貞にさえなれやしない。

 コロナのために彼らは非童貞になれませんでした。故に私も童貞との意識が薄まりつつあるのか。コロナに童貞を奪われた。コロナに童貞を奪われた。

 

 

 Make Boys Have Sexes!!  Make Girls Have Sexes!! 

 Make Him a Perficient!!  Make Me Dotei Again!!

3冊読みますた。

 こんにちは、こんばんは、お早うございますね。どうも、「働くことが生きる意味だと思っている人生スカスカなカスには全員死んでもらいたい会」副理事の私です。

 久しぶりに書評です。芥川賞を3冊(『飼育』は含まない)読んだのですが、どれもまあ、一冊でブログ書き切れるほどは思うことがなかったので、3冊まとめて感想をダラダラ書きたいと思います。

 芥川賞は純文学に対して与えられるといいはしますが、所詮文学賞なんて(当然ではあるが)話題作りのためのものですよね。トーシロが評価なんて偉そうかもしれませんが、火花読んでて、意外と大したことないな、と思いました。まあこれもバイアスかな。本って読む前に著者の情報が少なくともあるから、偏見がどうしても入るんですよね。具体的にいうと、私は今回『中卒の作品』, 『芸人の作品』, 『19歳の作品』を読みました。どれも話題性に富ます。感想は下に書きますが、異なる感想を持ったので、「話題性=話題性だけ」という偏見は持ってないはず(持っていたなら読まないな)。前置きが長い。じゃあ

 

苦役列車

 今回読んだ3冊の中では1番、文章がしっかりしてました。日々のつまらなさを厭世的に書いてる割には、ねちっこさがない文章でした(主人公はひねくれているが)。別に語彙力に自信がある訳では無いんですが、他の本を読む時に比べて、結構知らない語彙が多かったです。

 私小説ってあんまり読んだことないんですが、自分のことについて書く時に、三人称で描くのってどんな感覚なんでしょうね。著者情報を知らんので、これだけ読んでると若干、話が飛んでるような気がしなくもなかったです。

 ストーリーは別に、別段面白くもなかった。でもまあ大体そんなもんですよね、「ぽさ」が大事、知らんけど。飲み屋の1件で日下部とはスパッと別れるのかと思ってましたが、ダラダラと疎遠になる感じなのが意外でした。日下部という「普通の学生」に対して抱く嫌悪の描写が上手いと感じました。『落ちぶれて袖に涙のふりかかる』の方では、てっきり、川端賞の発表を待つ描写にページが裂かれると思ってましたが、全然そんなことはなかった。『苦役列車』の時期から段々と上向きになってると見せかけて、ダーン!と打ち切りって感じですね。古い作家に着いてのところはマジで全然知らんから何とも。

はーぁ、特に思うこと無かったのに分量増やそうと思うと箇条書きみたいでカスみたいな感想になったな。何が「書評」やねんという感じ、まあいいわ。


蹴りたい背中

 私は芥川賞にも文学全体にも詳しくないので、この作品はごく最近知りました。綿矢りさは19歳で最年少受賞だそうです。分量が少なくて2時間もかからなかった。

 文章に関しては、19歳っぽいなと感じました。主人公は高校生なんですが「多感」が大いに反映されてる文章です。『桐島、部活やめるってよ』も朝井リョウが20歳程度の頃の作品ですが、同じ印象を受けました。所謂文豪の文章が荘厳で落ち着いていてその描写は技術で引き伸ばされてるのに対して、若い作家の文章は若者らしく、短い時間の間に様々な感情を抱いてそれらを書き尽くすっていう、感覚に依った書き方です。一瞬に浮かぶ気持ちを書き尽くすってのは才能がいることでしょうけど、歳とった時どうすんだろ。瞬間の気持ちの動きを飽きなく見させる必要があるのか、句読点や短文, 体言止めが多くて、疾走感がありますね。個人的にはあまり好きではないんですけど。疾走感の為には詰まづかないことが重要なので、語彙レベルも高くはないですね。まあね、あんまりこういう本読まないんで、話半分で聞いてくださいよ。

 話逸れるんですけど、青春小説って人気出ますよねー。そんなおもろいか?と思いますけど。みんな、そういうの読んで青春を回顧するんですかね?それとも、自分の青春に何かあったと思いたいんですかねー???

  ストーリーは「蜷川(にながわ)と知り合って蜷川の家に行って回想挟んで蜷川の家に行って蜷川の背中を蹴って蜷川とライブに行って蜷川の家に行く」って感じです。うろ覚えだけど。恋愛感情なんだろうけど、主人公自身それと自覚せずに「蹴りたい」という気持ちで表すのは斬新だと思いました。


『火花』

  つまんなかったですね、ストーリーに期待してた訳でもないけど。前情報が「売れない芸人の話」とだけ聞いてたから思ってたのと違った。終わり方がマジで分からんかった。

 初め数ページはいい感じだったんですけどね、話が進んでくると段々、先に上げた2つの文章のうちどっちつかずみたいな感じですかね。カッコつけてるんだけど、大した技術もないから冗長に思えました。自分の経験を基にしてるとこも多いんでしょうが、些細な一言で一々回想入られちゃあ、話進まんでしょう。

 誰でも書けるとは言いませんが、芸人がその知名度の為に芥川賞取って300万部突破(これはすごい)するってのは、Twitterきゃりーぱみゅぱみゅが政治にごちゃごちゃ言うようなもんですよ(この例については芥川賞に値するものがないのでインパクトだけで言いました)。いいなー。



ほぼ批判に終わりましたね、我ながら可哀想です。あまりに人のことを言うと「お前はどうなんや」 と言われますが、私の書く文章は(ご覧の通り)大したことありません。私の批判は(性格の悪さからか)過度に言ってる所があるので、申し訳ございません。更に、この感想は本全体を読んで、さらに著者へのバイアスがある状態で持った「なんとなく」を無理に言語化したってものなので、めちゃくちゃになってるとこもあるかも知れません。逃げ。

 芥川賞は日本で最も有名な文学賞ですから、商業的効果も1番でしょうね。純文学の定義は曖昧とはいえ、こんなもんなんかな、とさえ思います。

 そういえば括弧の使い方について、私は小説においては括弧内って、その他の文章と違って、あってもなくても文法的に問題がないように付けられると思ってたんですが、『蹴りたい背中』ではそうじゃありませんでしたね。例えば、このブログの冒頭で書いた「芥川賞を3冊(『飼育』は含まない)読んだ」は()がない場合、「芥川賞を3冊『飼育』は含まない読んだ」だと日本語おかしいじゃないですか。本来なら「芥川賞(『飼育』は含まず)3冊読んだ」くらいかなと思ったり。経験則ですが、結構これに則ってあると思いますよ。日常使われがちな、名刺の補足として後からつくやつってあんまりない印象です。主観なので反例はいくらでもあるだろうけど。

 こうやって(文法に差し支えないように)括弧を入れるのって結構難しいもんで、そこに工夫が見られたりすることも屡なので、気にしてみたら少し面白くなるかも知れません笑。

 今回読んだ3冊は(『苦役列車』はそうでも無いけど)どれも話題性主体で受賞したと思えないこともないので、他の芥川賞受賞作を読んでみる必要がありますね。有名どころで田中慎弥村上龍辺り漁ってみるか……。『蹴りたい背中』は稀有な文章力ではあるし『火花』も酷くはしないけど、芥川賞を4作品読んでみて、これらがみんな同じ賞なのはなんだかなぁという感じです。はーーあ!俺も芥川賞貰えないかなぁーーー!!!!なんも書いてないけど!!!!!!

日射不足

 疲れたー、疲れた。ようやく前期が終わりました。長かったような短かったような。いずれにしてもとても辛かったです。まあ、初ゼミのレポートが5日提出でまだ触ってないので明日からやらないとまずいんですけど。

 一週間で6科目の試験でした。レポートになった授業もあるんで例年よりは少ないのかもしれませんが、キツかった。中途半端に勉強しなかったので、落単は流石にない?分かりませんが、高得点取れてそうなやつはないです。うーん。試験受ける前はね、試験が終われば重圧から解放されて夏休みが来る、その景気付けにコンビニにでも行っていろいろ買おうかなとか考えてました。でもね、勉強不足かあんまり達成感がないというか、さらに3時の日光は人を憂鬱にさせるのもあって、なんだか無聊な気持ちです。坂の上からの景色を美しく観られるのは、全力で駆け上がった人だけですね。夏に希望を持てない(無いからな)。

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  過去を思い返してみるとやっぱりこれは本当なんだという気がします。俺はまあ常に現状に対しての不満を洩らし、それでいて人並みの努力は出来ないんだから達成感なんて得られるはずがないんですよね。根が怠惰なので、ものの出来が完全に才能にしか依存しないし、できないことはやらないことにしている。できることだけやってるんだから達成感はまあ無いでしょう。

   書くことが思いつかねぇ。憂鬱ってのは全てを阻みますね。気持ちが沈む時にはせめて自慰くらいしてやってもいいじゃないとは思いつつ、肉体は精神を追うので、それじゃあ頭も項垂れたままよ。

 夏休みは何をしますかね、とりあえずレポート、とはいえ勉強かな、人生って多分短いですよね。小説でも書いてみようかなって思います、なんになるんだよクソ。まああと、遊んでくれる人は遊んでください。


どくしょかんそう文

800字程度で読書感想文を書くと、2週間前にそういったのですが、やる気も起きず書きませんでした。本の内容を忘却していくのは恐ろしいので早めに書こうとは思い、今筆を取りました。8月31日です。読書感想文書かなきゃ!私は普通に感想を800字も書くことをしんどいと思ってたのもありますが、なんで教師に評価されなあかんねん、という考えが少なからずありました。怠惰ちゃんの世間を馬鹿にする悪癖はこんな所でも人生の障壁となり得るんですねぇ、怖い。加えて、ウェルテルの書評がごとく、私は女性の清廉潔白か否かにこだわるので、そんな文章は恥ずかしいというのもありました。でも結局深い考察も立派な感想も、なんも出てこないだけです。では。中学一年生の気持ちになって書きます。小三以降じぶんで考えたことがないので書き方がわかりません。

死者の奢りを読んで    JK 声優   
 「死者の奢り」は大江健三郎による短編小説であり、文壇デビュー作である。短い作品の中に著者の哲学が散りばめられているのは処女作の通例に漏れていない。
 主人公の<僕>は大学で死体を扱う仕事のアルバイトに応募し、同じ大学の女学生と一緒に仕事をする。女学生は身篭っていて、中絶のための費用稼ぎが目的である。<僕>は死者と対話したりしながら仕事を終えるが、そこに助教授が来て、<僕>達の仕事は徒労だったと知らされる。
「死者の奢り」を読んだ印象としては、作品全体が暗く後ろ向き雰囲気で貫かれており、作品が書かれた終戦から高度成長期の間の、未来に対して希望が抱きづらい時代背景が如実に反映されていた。作品の中では死が希望と反対に位置するものとして扱われている。死体と会話し、また「希望を持っていない」という<僕>は生きた大学生の身でありながら、度々人間らしい扱いをされていない。希望を持たない<僕>が死と混同されているというのことは、手押し車の患者とのやり取りからわかる。看護婦は<僕>に優しく微笑むが、初め少年に見えた患者は実際は中年で、<僕>を睨み付ける。私はこれを過去(特に戦争という暗い過去)に執着しながらでは未来に対して希望を持てないという暗示ではないかと思った。その根拠として、死体に敬意を払う死体の管理人さえ、死体を見ていると子供の成長に熱中できないと言っている。
 私が着目したのは、全員同じ仕事に従事する、女学生、管理人と<僕>の関係性である。女学生は胎児をおろす資金稼ぎのためにアルバイトをする。<僕>と女学生は初めは普通に会話していたが、女学生は「胎児は死ぬにしても一旦生まれなければいけないのでは」と逡巡する。これはつまり未来への萌芽を予め諦めることの躊躇を表しているが、この後<僕>は「死体の匂いがする」と女子学生に突き放される。また、管理人についても<僕>は「働きやすそう」という感想を持つが、助教授が来てからは管理人は苛立ち、<僕>は管理人が助教授に圧殺される光景を目撃する。<僕>は一日中疎まれながらも成した仕事が無駄骨だったと知らされ、給料が出るのかも不確かな状況に『膨れきった厚ぼったい感情』が喉にこみ上げてくるのだった。以上よりこの作品では、過去の執着のため希望を持てず、それを周囲から否定される孤独が描かれていると私は思った。
 私は人生にポジティヴではないが、この作品を戒めとし、過去への過度な拘泥のために死者の水槽に浮かんでしまわないようにしたいと思う。

 はい、終わり。1200字くらい。読書感想文なので最後に一文付け加えてみました。普段の書評より字数少ないのに構成がだるいです。まじで描けなかったので「読書感想文 書き方」で検索しましたが、無意味でした。「本を読んで気がついたことを書きましょう」じゃねーんだよボケ。作品で気づくことなんか一々あったら、世界が馬鹿で埋め尽くされている説明がつかんでしょう(それは違う)。
 私はあまり文豪に詳しくないので、まあ比較対象がほぼいませんが、これ読んだ限りはなんか灰色というか暗い文章でしたね。三島由紀夫は私にはオレンジみたいな感じがします(適当)。川端康成は恋愛の美しさって感じであまり好きではないです。後まあ太宰も好きでないです。まあそんくらいしか知らないんですが、色んな文豪の作品読んでる人ってどこから時間作ってんの?二葉亭四迷とか小林多喜二とか代表作が一意に決まる著者くらいのは読んだほうがいいかな、と思っていますが...。おすすめの本があればコメントでくれると嬉しいです。「何が中一や!小一やろ!」という感想も悲しいけど嬉しいです。